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  • 山の辺の道近くの和爾町のお寺

私達がなぜコロナウィルスを怖がるのか、
それは「死」を感じるからです。
コロナウィルスによって身近に「死」がせまってくる。
だから怖いのです。
しかし、よく考えてみると、生き物は必ず「死」を迎える時が来ます。
それはいつか分からない。
コロナウィルスとは関係なしに、すぐ近くに実は「死」があるのです。
だけど、それを無視して、もしくは知ってはいるけど、その問題を横へおしやって
考えずに生きているのが私たちの普段の姿です。
コロナウィルスが広がってしまった時代に生きる私達は、
それにより苦しんでいる、不安になっている方もおられると思いますが、
考え方を180°変えてみて、
そんな今だからこそ「死」を考えてみませんか?

「死」を迎える。それは全ての人が通る道です。
では、その「死」を迎える時、何を感じるのでしょうか。
よく走馬灯という事を聞きますが、
私たちが「死」を迎える時、生きてきた時間を思い出す。
そして、その時に自分の人生を振り返るのでしょう。
その人生を振り返ったとき、生きている今のことも、今日の事も明日の事も、
思い出すかもしれません。
その振り返った人生をみて「良かったな」と死んでいくのか、
「悪かったな」と思って死んでいくのか。

人生は一度きり。つまり人生の最後も一度きり。
その人生の最後に「良かったな」と思えるような今日を過ごしていきたいですね。
そのためにも、コロナウィルスに心みだされずに、
今日一日、まじめに、誠実に、しあわせに生きていきたいですね。


私達、浄土宗では、経典にあるように、普段から口に南無阿弥陀仏と唱えておれば
その最後に、目の前に阿弥陀様が現れて、そして、
もし、苦しみにさいなまれていても、その苦しみを取り除いて、
幸せの国、極楽へと導いてくださるというのが信じる教えです。
お念仏をお唱えしておけば、コロナに苦しまされることも少なくなるでしょう。
必ずくる「死」というものを迎える準備として、
日々、口に南無阿弥陀仏と唱えましょう。

如来大慈悲 哀愍護念 
南無阿弥陀仏。


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